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🔴本「夜の木の下で」/湯本香樹美(新潮文庫)感想*湯本文学の一つの到達点を示す珠玉の短編集*レビュー4.4点

夜の木の下で (新潮文庫)

夜の木の下で (新潮文庫)

【湯本文学の到達点を示す短編集】

表題作の「夜の木の下で」外5篇を収録した短編小説集。

これぞ文学。静謐で瑞々しく、香気漂う名篇ばかりです。

遠く過ぎ去った日の忘れがたい記憶(原体験)を繊細な筆致で情感豊かに描いたこの作品集、タイプは違いますが、何となく芥川龍之介の「トロッコ」を思い出します。

自分の幼かった頃を思い出させてくれる、慈しみに満ちた作品集だと思います。

【あらすじ】

《緑の洞窟》

幼い頃、双子の弟と遊んだ秘密の洞窟。そこは庭の二本のアオキの緑に覆い隠された狭くて薄暗い小空間だった。そこから見える外の世界は目を見張るほどの不思議に溢れていて……。

その後、病気がちだった弟が亡くなり、父も母も年老いてしまう。そして、大人になったわたしは、弟と分かち合った秘密を思い出す……。

《焼却炉》

ミッションスクールの同級生のユリとカナ。焼却炉の当番だった二人は、燃える炎を見つめながら将来の夢を語り合う。

大人になったユリは、高校の図書室を訪れる。大好きだった本の貸出カードに二人の名前を見つけ出したユリは、あの時、話したかったこと、話せなかったことを思い出す……。

《リターン・マッチ》

いじめられっ子のトモユキからケットウジョウを受け取った柔道部員のケン。トモユキは自分をいじめている同級生全員に決闘を申し入れていたのだった。

ケンに巴投げで投げられたトモユキは、最後の難敵・町山との決闘のため、巴投げを習いたいと言う。しかし、町山との決闘が後に大きな事件の引き金となる……。

《私のサドル》

高校生の頃からいつもミキと行動を共にしてきたママチャリ。ミキはそのサドルと大の仲良しで、サドルにいつも愚痴や悩みを聞いてもらっていた。たとえば、ボーイフレンドの城ヶ崎くんが学校で問題を起こして転校したことなどを。

しかし、大学生のとき、その大切なママチャリが盗まれて……。

《マジック・フルート》

小学生のとき、祖父に引き取られた僕。ピアノを習うことになった僕は、道枝先生の教室に通い始めるが、先生の家には網枝さんという不思議なお姉さんがいて、僕に色んな話をしてくれるのだった。

でも、道枝先生は網枝さんが人と会うのを嫌っていて……。

《夜の木の下で》

不遇な環境の下で互いに助け合いながら育った姉と弟。二人は、幼い頃、母の言付けで庭で野良が産んだ仔猫を教会に捨てたという記憶を秘かに共有していた。

それから猫好きになった優しい弟。しかし、弟は交通事故で植物状態になってしまう。ある夜、姉は捨てた仔猫の夢を見る。その直後、病院から電話がかかってきて……。

【感想・レビュー】

それぞれの主人公の過ぎ去った日の記憶を静謐で透明感のある文体で瑞々しく描いた名短編集。

回想される過去の出来事が、弟を滑り台から突き飛ばした記憶であったり、自分の体面しか考えない母との確執であったり、あるいは生まれたばかりの子猫を捨てた体験であったりと、痛みを伴うものが多く、しかもどの作品にも死の翳が漂っていて、多少重たくはありますが、どこからともなく透明で晴朗な光が差し込んでいる気配が確かにあって、癒やしとか慰めを感じる作品集です。

心の奥底に仕舞った記憶の蓋を開けると、懐かしさより後悔が勝りそう気もしますが、時間は流れるものではなく降り積もるもの、今の自分は過去の自分の集大成……そんなふうに思えたら、(この主人公たちのように)かつての傷や痛みも慰めになるのかもしれませんね。

そういった意味で、この作品集は、喪失と再生の物語なのだろうと思います。

この作品集の中で好みの作品を挙げるとすれば、「マジック・フルート」でしょうか。少年の女性への淡い憧れがとても繊細に描かれています。網枝さんの語る悲しいヘビの物語やおばあちゃん幽霊のコミカルな行動も印象的で、湯本さんは日常の中にファンタジーを溶け込ませるのが本当にうまい作家だなあと感心します。

しかし、完成度の高さは、「緑の洞窟」が一番のような気がします。内容も構成も文章も、非の打ち所のない傑作。少年の日の恐れやおののきやときめきをこれほど見事に捉えた作品はなかなかないと思います。これは湯本文学の一つの精華。大したものだと思います。